<海外県政調査の報告>

所見または提言……あとがきにかえて(1)

 正味5日間という短い期間に、13か所の調査を詰め込んだ。調査箇所によって濃度にムラのあるところは否めないが、それでも全体をみれば極めて濃密な5日間であったと思う。調査箇所ごとの所見については、その章の最後に記したので、ここでは、その際、書き足らなかったことを述べる。

1.景観は富を生み出す資産である。
 これまで随所で触れてきたように、ドイツの都市は、その規模の大小にかかわらず、しっとりとした落ち着きを持っている。歴史を感じさせる建物、広告物も含め抑制の効いた色調。しかし、ドイツも日本同様、第二次世界大戦では壊滅的な打撃を受けている。なにしろ、国の全土が空襲と市街戦の舞台になったのだ。歴史的な建造物は破壊され、住宅の4分の1が失われたという。
 たとえば、カールスルーエである。彼の都市が、我が国の多くの都市と違ったのは、復興イコール復元であったということだ。バラックを建てるのではなく、戦前の建築様式をもって、家々を建て直したのである。「家のつくりがもともと違う」という理屈もあるが、「もはや戦後ではない」と言われた高度経済成長期において、我が国の建築物がどのように“もともと”を捨ててきたのかを見れば、違うのは「家のつくり」だけではなく「精神のつくり」であるということに気付くはずだ。

 ザスバッハヴァルデンの項で触れたが、ドイツにはFachwerk(ファッハヴェルク=木骨造り)という伝統構法がある。壁の表面に幾何学模様のように露出した木材は、家の重みを支えるため、太いものでは30cm角にもなる。木組みの間を埋める漆喰の壁は50cmもの厚みがあるため、火災にも強い。
 ザスバッハヴァルデンをはじめ、景観保護の思想が発達したドイツの自治体では、家を造る際に、構法や色などに厳しい制限がかけられる場合がある。外壁を何年かに一度、塗り直すことを義務としている村もあるほどだ。

 我が国でも、景観法が施行されたが、その法律の及ぶところは国土のごく一部である。しかし、現在の日本で、特に景観が危機的なのは、主に一般市街地や無計画につくられた住宅地であり、それを構成しているのは住宅や店舗などの、ありふれた建築物である。その、ありふれた建築物を何とかしない限り、我が国の景観に未来はない、ということは明白である。景観の形成、修復は短時日で成し遂げられるものではない。行政と専門家、住宅関連企業、建築業者、住民の協力が不可欠である上、次の世代まで巻き込む大事業になるのは必定である。
 今回、ドイツの都市や田園地域を訪れて実感したことは、当然といえば当然だが、景観の美化は都市や地域の価値を高め、経済効果も絶大ということである。そのところを私たちは再認識しなくてはならないし、今後、官・民を問わず、建築等のまちづくり事業に際しては、「景観」の視点を重視する仕組をつくらなくてはならない。そして、ゴミの減量化や地球環境全体の保全を進めていく上で、環境教育が不可欠なように、これからは、景観や国土・県土の美化についても幼少期からの教育が必要であると考える。