<海外県政調査の報告>調査の記録

1.水の値段、ドイツと日本。


所見1
水源への理解があればこそ
広大な敷地に広がる浄水施設
 ドイツでは、水の値段が高い。日本だけでなく、イギリスやフランスと比べても相当に高い。それだけの高負担を、ドイツの人々はなぜ受け入れることができるのか。
 その理由のひとつに、「水源に対する理解」があるのではないかと、私たちは考えた。平野が国土の3割しかない日本では、山のダムに貯えられた大量の水を、はるか麓の都市住民が消費する。「水源」は、自分とは遠くにあるもの、なのである。一方、ドイツでは国土に平原の占める割合が高い。それぞれの市や町が、近傍に水源を持ち、必要なだけの水を汲み上げている。少し背伸びをすれば、水源の森が見てとれる、そんな関係なのだ。事業のスケールメリットを追求することは難しいが、その分、ムダが生じることも少ない。そんな、「身の丈」の水環境を守っていかなければならないという「思想」が、そのためのコストを拠出させているのだと感じた。

歴史を感じさせる建物内の動力部
 現在、神奈川県でも水源環境税の論議がかまびすしい。危機に瀕している水源の森を守るために、県民がコストを負担するという図式は、きわめて真っ当である。しかし、特に横浜や川崎など、県人口の半分以上が集中する大都市部では、どれほどの県民が、水源の問題を自分のこととして考えているだろうか。
 今、急がれるのは、遠く離れた水源の荒廃を、都市住民に、身近な問題として理解してもらうこと。「一人あたりにすれば大した金額ではない」とか「広く浅くならいい」という論議は、この問題を「思想」抜きの「金で済む問題」に貶めてしまう危険性を孕んでいる。お金の拠出は、自分たちの水源を守るという「思想」とセットでなくてはならない。「なんだかわからないが、少々のお金を出しておけば、どこかの誰かが環境を守ってくれる」というのでは、「なんだかわからないが、水が足りなければ、どこかにダムでも造ればいい」というのと発想としては同じだから、早晩、破綻するのは目に見えているのである。