戦略なき戦術のむなしさ

(2007年5月21日)
 「県議会・民主 全委員会の役職辞退」……先週末の新聞各紙(といっても神奈川版ですが)に、こんな見出しが躍りました。しかし、多くの県民の皆さまは、記事を読まれても、どうしてこんなことになったのか、大きな疑問が残ったのではないでしょうか。議会運営委員会世話人会のメンバーとして今回の混乱の真っ只中にいた私でさえ、いまだに民主党(会派名は民主党・かながわクラブ)がなぜ、こんな行動に出たのか理解できずにいます。
 民主党がこだわったのは副議長のポストでした。地方自治法では議会の議長・副議長は選挙で決めることになっています。しかし、岡崎前知事の時代までは第一会派から議長、第二会派から副議長を出すことが慣例化していました。選挙とは名ばかりの根回し、談合によって正副議長が決められていたのです。国会も同じで、戦後、長期にわたって続いた55年体制の悪しき慣行であると、私は思います。それが、4年前から変わりました。
 そのきっかけをつくったのは民主党でした。地方議会の本分に背く不見識な「知事与党」発言や会派の分裂などによって議会全体に迷惑をかけたという理由で、副議長ポストを1期4年にわたって返上したのです。前期4年間の副議長は毎年の選挙の結果、順に、公明、自民、県政、自民が務めました。
 しかし、今回の選挙で議席を伸ばした民主党は、議運世話人会懇談会で「正副議長は選挙によって選ぶ」ことに同意していながら、非公開の場では「37議席も獲ったのだから、その責任を果たさせてほしい」と4年間すべての副議長ポストと要求してきました。「もう、そんな時代ではない。旧弊を断ち切ることは議会改革にもつながる。もちろん、人物・識見高く、正副議長に相応しい人物であれば、選挙に際し、会派を超えて推薦することもある」というのが我々の立場ですから、要求を呑むわけにはいきません。すると、民主党は「それでは、第二会派としての責任を果たせない」と、その後の小委員会(常任委員会・特別委員会の人数や正副委員長のポストのわりふり等を決める会議)をボイコットし、すべての議会役職を4年間にわたり放棄する、と通告してきました。この、県議会史上、空前の愚挙に、我々も含めた他会派議員や議会局職員は唖然とするばかりでした。
 小委員会がドント方式に基づき公平・公正にわりふった苦労も、すべて水の泡。民主党をゼロにして、作り直しです。なぜ、そんな行為に出たのか。民主党・かながわクラブの議員団長が記者会見で「自民、公明、県政の話し合いの進め方に抗議の意味もある」と発言したことも、波紋を呼びました。議運世話人会の席上、公明党から、「私たちの話し合いの進め方のどこが間違っていたのか教えてほしい」と質問が出ましたが、民主党は一切、答えられず。詰めかけたマスコミの中で、大恥を晒してしまったのです。
その後、再開した議運世話人会において、ようやく民主党は陳謝しました。それは「今回、小委員会に出席しないことで、大変に迷惑をかけた。今後は、交渉会派の一員として、協議の場には参画させていただきたい」というもの。どうして、全役職放棄などという行動に出たのかは、結局わからずじまいですが、我々も一旦、矛を収めることにしました。
 副議長というポストにこだわり続けたために、すべての役職を失うことになった民主党。
確固とした戦略のないまま、全役職放棄というトリッキーな戦術を打ったその結末は無残なものでした。新聞に、議運世話人会座長のコメントが載っていました。いわく、
 「選挙で勝ったばっかりに議員としての責任を放棄し欲ぼけになったのではないか」