松沢知事と神奈川県議会

(2004年3月)
 勝者の驕り――議会から見た松沢知事の、この一年の政治姿勢をひとことで言い表すなら、こんな言葉が適当だろう。
 知事は、たしかに選挙で勝った。が、そのことだけをもって群れの上に君臨し、支配しようとするのなら、それは動物となんら変わりがないことになる。
 戦争で勝利を収めた国が、敗戦国に進駐するときでさえ、一方的な統治政策は人民の反発を買い、それこそテロを誘発することにもなりかねない。相手国の民族構成が複雑で、権力構造の糸がもつれ合っているようなら、なおさらである。
 県議会も、さまざまな“民族”“部族”により構成されている。もっとも勢力の大きい部族は「自民族」で、彼らは知事選では、松沢氏と対立する宝田氏を推していた。自民族のほかにも「公明族」や「保守系無所属」派が宝田氏を支援しており、それら3部族は、選挙直後から、松沢知事に対し野党的なスタンスを取ると目されていた。
 もちろん、県議会の中にも松沢知事を推したグループがいる。彼らは“刷新派”“ネット派”に分かれてはいるが、部族ということでは両派とも「民主族」である。しかし、民主族は、いわゆる野党3部族の半分にも満たない勢力である。
 そんな構図をもった県議会と対峙することになった松沢知事。まずはじめに何をすればよいかは自明のことと思ったが、彼の考えは常識の及ばないところにあった。
 知事と議会は、よく車の両輪に譬えられる。大統領と同じように選挙で直接選ばれる知事の権限は強大である。だからこそ、同じように選挙で選ばれた議会が、知事の行政執行をチェックするのである。いかに知事が強い権力を持っているとはいえ、議会の過半数の支持を得られなければ、どんな政策も実行に移せない。
 なぜ、知事は昨年の4月30日、選挙で当選した議員が初登庁し、議会の新勢力図の決まったその日に、まず、最大部族の自民党を訪ね、今後の県政運営について話し合うという作業をしなかったのか。
 その後の知事の言動をめぐる報道等を総合すると、知事はそうした話し合いは、密室的な根回しであり、妥協であると考えていたようだ。しかし、「選挙ではいろいろあったが、今後は県民本位の県政推進のため力を貸してほしい。また、知事として至らぬ点もあろうかと思うが、皆さんからもどしどしご指摘をいただきたい」ぐらいの挨拶をすることは、密室的でもなければ妥協でもない。極めて初歩的な戦術である。ちなみに、知事がわが会派の控室に挨拶に来たのは、それから1ヶ月以上も過ぎた頃だっただろうか。
 さらに、その間にも知事は人事などの重要案件を、議会や県幹部職員への打診もなしに、いきなり記者会見で公表したり、議会に諮る議案を先にマスコミにしゃべったりと、「議会軽視」ともとれる行為を連発。自らの選対幹部2人を県臨時的任用職員に登用したり、無党派を名乗りながら民主党候補の応援に奔走するなどのことも重なって、自民党をはじめ野党会派が、そちらがその気なら、こちらにも考えがあると気色ばんだのは当然の成り行きといえる。
 「知事が選挙時に、東京都狛江市に生活の本拠を置きながら、川崎市に住民票を置き、選挙権を行使してきたのは公職選挙法に抵触するのではないか」(川崎市から狛江市に移転したとき、住民票を狛江市ではなく、同じ川崎市の別の住所に移している)、「知事に多額の政治献金をしている人物を、県第三セクターの社長に起用したことに問題はないか」、「自分の選対幹部2人を県臨時的任用職員に登用したのは論功行賞ではないか」等、さまざまな問題が、本会議で噴出した。それらを集中して調査しようというのが「地方自治法第98条に基づく松沢知事の選挙及び政治活動に関する検査特別委員会」、いわゆる98条委員会である。
 また、知事は選挙に臨むにあたって「マニフェスト」を掲げた。「マニフェストは、これまでの漠然とした公約とは違い、期限、財源、手法を明確にした“県民との契約”であり、自分はそれが支持されて当選した」と、くりかえし強調した。
 となると、「そこまで言うなら、そのマニフェストとやらがどれほどたいしたものか、ひとつひとつ検証してやろうじゃないか」と考えるのも、また自然の成り行きである。
 さて、その結果。松沢マニフェストの大風呂敷が次から次へと綻び始めた。筆頭に掲げた「国から1400億円の税財源移譲」は一知事の力ではどうにもならないことが明らかになり、「離脱も含めた見直し」を主張していた住基ネットについても、反対派を集めて研究会まで設けながら、「法律上、離脱は困難」とあっさり自説を引っ込めた。37項目のマニフェストを、どうにかこうにか『新総合計画(案)』『行政システム改革の中期方針(案)』『地域主権確立のための中期方針(案)』に押しつけたが、その多くが数値目標の変更を余儀なくされたり、目標そのものをすり替えざるを得なくなっているのである。
 その点を指摘されると、「数値目標うんぬんは瑣末な問題。マニフェストが示した方向性は、それらの計画に生かされている」と、弁明をする。しかし、マニフェストは、具体的な目標こそが命である。「方向性」だけなら、そもそもマニフェストである意味はない。知事はその弁明が、みずからのマニフェストを否定していることに気付いているのだろうか。
 3月8日の98条委員会での知事の答弁をめぐって県議会は紛糾し、9日の本会議が12日いっぱいまで空転した。これは、自民党委員の質問に逆ギレした知事が「そういうアンタはどうなんだ」と質問に質問で返すという禁じ手を使ったことに端を発している。98条委員会で追い込まれたとはいえ、最近の知事の繰り出す“ジャブ”には、首を傾げざるを得ないものが多い。支援者を使って98条委員会が違法であるとの住民監査請求を起こさせ、それを理由に同委員会への出席を拒んだり、自分の私設秘書だった川崎市議に自民党の98条委員会委員を政治資金規正法違反で告発させたりしている。住民監査請求は結果として退けられ、それを楯にとった委員会欠席は地方自治法に背くものと当局の見解が出ている。また、くだんの臨時的任用職員を自分の秘書にするための条例案や、当面は防災拠点にも迎賓館にもならず、ただの豪邸でしかない知事公舎の設計費を、否決を承知で出してきたことも、見え見えの挑発行為と言えるだろう。
 知事は、日頃から「県民との対話」を唱え、各地の県民集会などに嬉々として出かけているようだが、そこで接することができる県民は、あくまで一握りである。知事の目の前には県内各地で県民の付託を得て議会に集った議員がいる。知事にあっては、専制的な政治手法を一刻も早く改め、それら議員に対し、虚心坦懐に対話を求めていくことが肝要と考えるが、いかがだろうか。